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りんご栽培は有史以前に始まったとされています。
原産地はカザフスタン南部、キルギスタン、タジキスタン、中国の新疆ウイグル自治区と言われ、中国・天山山脈、コーカサス地方からヨーロッパ、さらにアメリカへと伝わりました。
りんごが最初に栽培されたのは新石器時代で、トルコでは8000年ぐらい前の炭化したりんごが発掘されています。
紀元前1300年にはナイル川デルタ地帯に果樹園があり、ギリシャ時代にはりんごの野生種と栽培種を区別し、接ぎ木で繁殖させる方法が書かれ、ローマ時代になるとりんごの品種が載った本が出版されました。
日本へは江戸時代に中国から伝わったそうですが、本格的に栽培され始めたのは明治初期に西洋種が伝わり品種改良され、現在7500以上の品種が栽培されているようです。
品種は多く、世界では10000種類あるといわれているんですよ。
□□と○○を交配した○□、というふうにりんごは交配を重ね品種を増やしていきました。
日本でのりんごの発祥地については、いくつかの諸説があり、日本の文献では、8から12世紀に林檎(リウコウ)と奈(ナイ)という2種のりんごがみられることから、かなり以前から日本にあったことが推測されます。
日本で「りんご」の名が記録されたのは平安時代の中頃(918年)ですが、それは中国
から渡来した「和りんご」とか「地りんご」と呼ばれる粒の小さな野生種で、食味の悪いものだったらしいのですが、12世紀には菓子として林檎の文字が文献に見られることから、少しずつ普及していったようです。
日本のりんご産業は、明治時代の文明開化とともに本格的に導入され始めました。
りんごの原種はいくつかの地域に分布していますが、私たちが現在食べているりんごの原種は、コーカサス地方から北部ペルシャ(イラン)地方、中央アジアの天山山脈(トルキスタンから新疆)に自生しているものが原種と考えられており、また、最近ではこれらに加えて、ピレネー山脈一帯のヨーロッパに自生している種の三種が交雑して現在のりんごとなったという説もあります。
日本には、かなり昔に揚子江流域の原種が渡ってきたものと思われ、ほとんど食べれないりんごだったと思われています。
西洋りんごが日本に入ったとき、アメリカ系だけでなく、ヨーロッパ系も入ってきました。
しかし、ヨーロッパ系は乾燥地域のりんごが多く、一方、アメリカ系は比較的降水量の多い東部地域から入ってきたため、雨の多い日本には、アメリカ系が定着したのです。
日本では、りんごの導入以来、外国産品種が主流となっていましたが、昭和初期から育種研究が進められ、昭和30年代からようやく日本独自の品種が栽培されるようになりました。
今日のようなりんごがつくられ始めたのは、まだ130年ほど前のことです。
1871(明治4)年に開拓史がアメリカから75品種を輸入し、内務省勧業寮試験場が中心に苗木を全国に配布、試作が行われました。
その結果、りんごは信州や東北地方などの比較的冷涼な地域に適していることが分かり、新作物として普及しました。
冷害でお米が実らない年でも立派に実をつけることができ、寒冷地では重要な作物です。
はじめは和りんごと区別するために「西洋りんご」とか「苹果」と呼んでいましたが、品質、果実の大きさが優れていたために、和りんごに代わって栽培が広がり、やがて単に「りんご」と呼ぶようになりました。
りんごの名産地、青森県へは明治8年(1875)春、当時の内務省勧業寮から3本の苗木が配布され、県庁構内に栽植されたのが青森りんごの始まりです。
その後同年秋及び翌9年春と計3回にわたって数百本の配布をうけて篤農家に試植されたました。
この前年の明治7年に弘前市の私立東奥義塾が招いた米国人宣教師ジョン・イング師が翌年の12月25日キリスト降誕祭の際、当時の教え子や信者たちにりんごを分与したのが西洋りんごの青森県に紹介された最初といわれています。
当時の菊池九郎塾長はこれを自宅の庭に播種し、後年、別の台木(だいぎ)に穂木(ほぎ)を接木(つぎき)したのが青森県の育種及び繁殖の発祥といわれています。
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